カンタータ日記・奥の院

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zoom RSS 大阪・奈良旅行記30−全ては四天王から始った。戦勝祈願から万民救済へ〜お気に入りの仏像 奈良・大阪編

<<   作成日時 : 2009/10/10 16:33   >>

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 今回の(というか、もうこの春のことになってしまった)旅行でも、たくさんの仏像と出合ったり、再会したりしました。


 薬師寺においては、復原された大伽藍の中で、「完全なる音楽」の主旋律としての本来の姿を取り戻した白鳳の諸仏と再会、改めてその壮麗さに陶然となりました。
 特に、以前観たときは、日光・月光菩薩のあまりの美しさに気を取られたためか、それほど、というか、まったく印象に残らなかった、本尊・薬師如来の雄大な佇まいに、すっかり心を奪われてしまった。

 わたしが最も愛する聖観音も、昨年夏に東京で会った時は、ひとりぼっちでさびしそうでしたが、
 今回は、あの東塔と並ぶ名建築、東金堂の荘厳な空間の中で、四天王に護られ、この世のものならぬオーラを出しまくっていて、すっかり惚れなおしました。


 そんな中で、特に深く心に刻まれたのは、やはり、初めて出会った仏像たち、今回初めて訪れた、奈良・西大寺と、大阪・四天王寺の諸仏です。

 はからずも、両寺院とも、遠い古代に四天王を祀る寺院として創建された巨大寺院。
 本尊を守護する眷属である四天王そのものを本尊とした寺院は、中世以降はほとんど無いそうで、たいへんめずらしいらしい。

 戦いの神でもある四天王。
 その四天王を祀ったのだから、どちらも、古代史上の極めて重要な局面において、戦勝等を祈願するために創設されたわけですが、それぞれの戦いや緊張の後にもたらされた平和の中で、両寺院とも、やがては、救世の仏を中心とした、国家鎮護、万民救済の大寺院として大いに繁栄し、信仰を集めるようになりました。

 それから幾星霜。
 長い長い歴史の激しい渦に翻弄され続けて、紆余曲折を経る中で、どちらの寺院においても、すでに当初の四天王は失われ、本尊も四天王ではなくなっているものの、そのかわりに、古代から現代にいたるさまざまな時代の、実にバラエティに富んだ、魅力的な仏像が伝えられていて、どちらも、隠れた仏像の宝庫と呼ぶにふさわしいものがあります。



 以下、それらの個性豊かな仏像について、各寺院のそれぞれのお堂ごとに、かんたんな感想等をメモしておきたいと思います。



 西大寺


 藤原仲麻呂の乱の鎮圧を祈願して、女帝・考謙上皇の発願によって建立された四天堂がもとになり、
 その後重祚した称徳天皇(=もと考謙上皇)と怪僧・道鏡によって、東大寺に比肩する西の大寺院、「西大寺」として整備されることとなった。
 自らの権勢の威信をかけた伽藍拡張が行われ、(結果的には天武天皇系最後の大事業となる)
 最終的には、31町に及ぶ広大な寺域に、極彩色の壮麗な堂宇が立ち並び、それらの内部では、計100体を超える巨像が無数の「鏡」によって荘厳されている、という、それまでに無い一種独特の大密教空間が出現した。

 正にこのあたり、本家ブログの方で以前紹介したことがある、石川淳のSF?時代小説「六道遊行」の世界であり、とても興味深い。

 その後、称徳天皇が崩御し、道鏡が失脚すると、西大寺の寺勢は急速に衰え、平安末期の戦乱による南都荒廃の中そのまま放置され、ほとんど壊滅的な状況となったが、
 その後、鎌倉時代初期の律宗僧・興生菩薩叡尊によって、彼の布教理念である受戒、現世救済、社会福祉の中心地として、当初とはまったく異なる形で再興され、再び盛隆を極め、
 その後、火災等による堂宇の建て替えを繰り返しながらも、現在にいたる。
  
 叡尊は、その後、ここで紹介しているもう一つの四天王の寺院、四天王寺とも係わっていて、興味深い。


 四王堂


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 そもそもの大もととなった四天堂は現在も残る。

 建物はもちろん、四天王像も当時のものではないが、おもしろいことに、四天王が踏みつけている邪鬼だけが、創建当時の、この寺の発端となった四天王像のものとして残されている。

 やはり、この邪鬼が大迫力。
 それを踏みつける素朴な四天王像も力強い。

 しかし、この堂で何よりも圧巻なのが、その四天王を従えている本尊十一面観音立像。

 何と、5メートル近い巨像。
 外から、巨大な、十一面観音立像の手が見えているが、(下の写真)
 堂内に入ると、見上げるばかりのその巨大な姿に、まず息を飲むが、やがてその均衡のとれた美しさに陶然となる。
 巨像(特に長谷寺様式の観音)にありがちな大づくりな感じがまったく無く、大きいながらも、女性的とも言える繊細な美しさを感じさせるという、奇跡的なバランスを感じさせる稀有な例。
 細密な装飾も本体の雰囲気とよく調和して見事。

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 本堂(金堂、または光明真言堂)


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 江戸時代再建ながら、古風な大屋根と全面木造の質素な壁面がおおらかな気風を示す本堂は、外観からしてすでに魅力爆発だが、
(今や石垣だけが残る塔趾の向こうに、この大家根が見える情景は、奈良大和路を代表する風景として、ポスターとかにもなっている)
 一歩中に入ると、そのあまりにも厳かな空気に、思わず身が引き締まる。

 薄暗い中、夥しい数の、細かい意匠をこらした金属製の灯篭がズラっと並び、ぼんやりとした光を投げかけている。
 この寺に伝わる名宝、金銅透彫舎利塔(国宝)にあやかったものか。
 そのぼんやりとしてはいるが、何ともいえずやさしいオレンジの光に照らされて、
 堂内中央には、もう一つの名宝、金銅宝塔(これも国宝)が、
 そして、正面には、極めて特徴的な、何体かの仏像が、静かに浮かび上がっている。

 実に見事な、写実の限りをつくした文殊菩薩渡海五尊像も大迫力ながら、
 特に、本尊・釈迦如来立像のすばらしさ。
 その姿には、見覚えがある。清凉寺式釈迦如来立像。
 そう、この西大寺の釈迦如来立像は、戒壇と福祉に尽力した現世救済の人、叡尊が、仏教の基本に立ち返るべく、あの清凉寺像を忠実に摸刻させたもの。
 釈迦如来像の最高傑作のひとつと言われる国宝・清涼寺像は、インドの正身釈迦像(釈迦の姿を直接模した像)を中国で摸刻したもの、と言われ、さらにその摸刻像(清涼寺式像)が全国に多数存在しているわけだが、
 この西大寺像は、その中でも最も美しいもののひとつではないか。
 あの表情に張り詰めたような厳しさのみなぎる清涼寺像そのものよりも、わたしは、ふんわりとした日本的なやさしさが漂うこちらの摸像の方が、より美しいような気さえする。


 その他、愛染堂の、どこかユーモラスで親しみ深い、叡尊坐像、(本尊愛染明王は、秘仏のため、通常は拝観できず)
 聚宝館の、吉祥天立像や塔本四仏(一部後世の補完)をはじめとする、実に幅広い時代のさまざまな仏像、(有名な十二天画像は通常は拝観できず)
 などなど、見所が多い。



 四天王寺


 飛鳥寺と並び、記録上日本で最も古い、聖徳太子創建による、あまりにも有名な大寺院。

 最澄、叡尊などにより、さまざまに形を変えつつ、度重なる災厄にもその都度不死鳥のようによみがえっては、ますますの繁栄を続けてきた、浪花の魂のよりどころ、庶民の聖地、「天王寺さん」。


 わたしはかつて、近代になって再建された建築物や、つくりなおされた仏像に、ほとんど興味がありませんでした。
 薬師寺の復元などにも否定的な見方をしていたくらいです。
 ところが、その薬師寺の伽藍再建中に、直接工事や設計に携わった方の話を聞き、実際に工事の現場を拝見して、180度考えが変わったのは、これまで書いてきたとおり。

 それでも、建物はともかく、新しい仏像に関しては、やはりあまり美しさやありがたさを感じることがなかったのですが、
 今回、四天王寺金堂に入って、ほとんど初めて、心の底から美しいと思える、「新しい仏像」に出会うことができた気がします。


 四天王寺、はっきり言って、建物も仏像も、法隆寺他の太子ゆかりの大寺院のものに、かなり「インスパイア」されています。
 しかし、何の迷いもてらいも無い、も一つついでに遠慮も無い、堂々たる金堂や塔の法隆寺風な造型は、かえってそれが、「ここは太子の御寺なのだ」という誇りを感じさせ、気持ちが良いほどに力強い。


 そして、その極致とも言えるのが、金堂本尊・救世観音半跏像
 救世観音と言えば、まず何と言っても法隆寺の像、というか、それ以外にはありえないくらいですが、
 この仏像、その魂が見事に乗り移り、その上であのアルカイックスマイルを押し殺して、表情を厳しくひきしめたのような、荘厳極まりない風貌。
 そして、身体は、中宮寺や広隆寺など、日本仏教彫刻の至宝とも言うべき太子ゆかりの仏たちを、まず真っ先に連想させる、半跏の形。
 しかし、「半跏」ではあるが決して「半跏思惟」なわけではなくて、その体躯は堂々として、左手は組んだ右足首に置きながら、右手は、すべてを受け止めるかのごとくまっすぐに正面に向けられて、施無畏印を結んでいる。

 つまり、太子といって思い浮かべる仏像の名品の数々をすべてミックスし、それを高い次元でより厳しく力強い姿に結実させたようなお姿。
 この仏像の場合、はじめからそれらの他の仏像を参考にしたわけではなく、徹底的に古い記録を調査して、なるべく当初の形を復元しようとした結果、このような姿になった、という点が、宿命的ですばらしい。
 こんな仏像は見たことがありません。
 もしかしたら、ほんとうに、太子はこのような姿をしていたのではないか。
 堂内に入ったとたん、あたかもこの平成の世に降臨した太子その人を目の前にしたかのような錯覚を覚えて、不覚にも涙が出そうになりました。
 これこそ、古来より日本であたりまえのように行われてきた、神と仏を等しく敬う、神仏習合の象徴とも言えるでしょう。

 この本尊の周囲を固める四天王も、よくあるように怒りの表情や威嚇のポーズを取るのではなく、ただただまっすぐに邪鬼と大地とを踏み締めて立ちふさがり、その造りも過度に写実的ではなくて、強く古代の香りを漂わせる、実に見事な作品。

 そして、これらの巨像が、(本尊はおそらく3メートル近く、四天王も裕に2メートルはあると思われる)
 堂内の薄暗い大空間の中で、きらびやかに輝くのではなく、ぐっと渋く落ち着いた、内からにじみ出るような淡い金の微光を発して佇む姿は、
 極めて斬新なのにもかかわらず、まさにその一方で、神秘的な古代の祈りの対象にそのまま直結するかのような、一種独特な美にあふれている。


 一方、講堂の仏像もなかなか魅力的。

 巨大な大極殿様の建物の内部は、夏堂、冬堂に分けられ、それぞれ阿弥陀如来坐像十一面観音立像が祀られている、という珍しい形。

 金銅諸仏に対して、こちらは金色に輝き、きらびやかでまぶしいくらいだが、
 金銅の諸仏をさらに上回る巨体、(阿弥陀如来は3メートル、十一面観音立像は4メートルを裕に超える)
  しかもその大きさの割にはバランスの取れた美しい造型の仏像が、2体並ぶ様子は圧巻。


▽ 中門(仁王門)横から、五重塔、金堂、講堂をのぞむ。
  この他にも、中門の手前には南大門、
  講堂の先には、亀の池にかかる石舞台を経て、六時礼讃堂、と、
  と、すべての建物が一直線に並んでいる有名な四天王寺式伽藍配置。

  これらの建物の内部に、近代の名作巨像の数々が、まるでその空間いっぱいを厳かな光で満たすかのように、並んでいる。

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 四天王寺で、もう一つ特筆すべきは、何と行っても、仏画のすばらしさ。

 金堂壁面には、釈迦の生涯を描いた、中村岳陵の仏伝図
 講堂壁面には、玄奘三蔵の旅を描いた、郷倉千靭の仏教東漸図
 が、それぞれ描かれている。

 いずれも、素朴だが迫真の筆致で、それぞれの物語をとてもわかりやすく描ききった、何組もの絵物語風の連作。
 一つ一つの絵を順番に追いながら、堂内を一回りすると、それぞれの物語が自然と心に染み渡る。
 絵を見ているだけでも、心に火が灯されたかのように、あたたかな気分になる。

 この前に訪れた薬師寺の玄奘三蔵院にも、あまりにも有名なシルクロードの壁画がありますが、この四天王寺の仏画は、例えば何も知らない子供が見ても、何が(どのような場面が)描いてあるのか、はっきりとわかるところがすばらしいと思います。
(わたしが行った時、実際に親子連れが、絵を見ながらいろいろな話をしていて、まだ小学校に入りたてくらいの子供が、母親にいろいろと鋭い質問をしていて感心した。)


 そして、五重塔の壁画のなんという見事さ!
 内部心柱周囲の壁面四面には、カラフルで力強い筆致の釈迦三尊画像ほかの尊像が描かれ、(写真上、一部、両脇侍が素朴な彫刻(これがまたとびっきり魅力的!)の面あり)
 一階外壁四面の扉には、ダイナミックでまったく迷いの無い線で、、四天王像が彫り刻まれている。(写真下の2枚)
 どちらも山下摩起の作品で、見ていると、思わず力が湧いてくる。
 古代壁画を思わせるような、どこか原初的な魅力を持つ作品。

 実に見事なので、ぜひクリック+拡大してご覧ください。↓
 
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 この他、宝物館の、仏像たちも必見。

 和歌山明王院より伝わった、おおらかな平安時代の阿弥陀如来坐像薬師如来坐像
 踊りながら、一歩足を踏み出したようなポーズの両脇侍がおもしろい、やはり平安時代の阿弥陀如来三尊坐像
 この両脇侍は、もともとは奏楽、舞踏のインドの神につながると思われる珍しい仏像で、
(わたしは、密かにスキップ菩薩と呼んでいる)
 とても見たかったのだが、わたしが行った時には参拝できませんでした。


▽ お寺では珍しい石鳥居(西門)。1294年、鎌倉時代建造。
  四天王寺で最も古い建造物あるばかりか、
  日本で最も古い、来歴が明確な鳥居の一つ。
  この先は極楽浄土である、と、結界を結ぶ意味を持つ。
  この先に見える極楽門(西大門)も同様な意味を持つが、
  こちらの方は、平安時代風の典型的な寺院建築。

  もともとインドでは寺院にも鳥居があるそうで、おかしくないということだが、
  わたしには、神と仏を等しく敬う神仏習合を高らかに宣言しているように思えてならない。

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