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zoom RSS 大仏だけじゃない!東大寺大仏殿の諸仏像・慶派渾身の幻の鎌倉復興時を偲ぶ〜’13真夏の奈良・大阪旅行4

<<   作成日時 : 2013/08/08 10:31   >>

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 大仏殿には、中門から続く回廊の向かって左隅(西側)から入る。

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 中門のすぐ内側の香炉を支える方々。

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 国宝・大仏殿


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 国宝・八角灯籠


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 元祖・天のオーケストラ、八角灯籠についての詳しい記事は、こちら



 こんなに巨大な唐破風屋根は見たことない。

 これは、天平時代にはあり得なかった造形。

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 国宝・盧舎那仏坐像


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 聖武天皇の祈りが巨大仏として結実して以来、何度も壊滅的に破壊されながら、破壊されるたびに、重源による鎌倉復興、公慶による江戸復興、と、その都度修復され、不死鳥の如くよみがえり続けてきた、日本仏教の中心たる「大仏様」。

 したがって、現在観ることができるものはつぎはぎだらけだが、かえってその姿は、1300年にわたる気の遠くなるような年月と多くの人々の祈りの蓄積としてのすごみを感じさせ、むしろ、大いなる落ち着きと不思議な安定感に満ちている。



 巨大な花瓶にとまっている、モスラとみまがうばかりの巨大な蝶。何と8本足。

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 花瓶に書かれている文字は、「藤掛似水門葉」。

 藤掛似水は、元禄の立花師で、元禄開眼会の際に、この花瓶を施入した。

 
 巨大な花と大仏様。現在、その花瓶に生けられているのは、天に向かってそそり立つ蓮の花。

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 有名な蓮台の文様。(東大寺ミュージアムに、レプリカがあった)

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 光背の化仏。

 これ一体でも、りっぱな寺院の御本尊といってよい、かなりの大仏。

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 大仏様は、すっかり見慣れていておなじみだし、巨大な大仏殿の内陣にすっぽりと収まっていて、巨大仏としての威圧感はそれほど感じられない。

 むしろ、周囲を取り囲む諸仏の巨大さ、存在感に、今回圧倒された。
 

 頼朝・重源による鎌倉復興期の大仏殿内は、復興大仏以外に、康慶、運慶、定覚、快慶による巨大な鎌倉仏、宋人仏師による宋風石造仏で埋め尽くされていたが、
(何という豪壮な空間だったのだろう!)
 現存する大仏殿内の、大仏以外の仏像は、すべて江戸復興期の江戸仏。

 江戸仏ならではの親しみやすさと破格のデフォルメが、巨大仏の迫力をさらに際立たせている。

 鎌倉復興期の大仏殿内を一度でいいから観てみたい、というのは、今では絶対にかなうことのない夢だが、現在の大仏殿内は、それとはまた異なる、実に魅力的な、味わい深い空間になっていると思う。


 ちなみに、鎌倉復興期の慶派によるおびただしい巨大鎌倉仏のうち、唯一現存しているものが、南大門の仁王像。
 また、宋人字六郎等、宋仏師による石造仏のうち、唯一現存しているのが、かつては中門に置かれ、今はやはり南大門(裏側)に移されている獅子像。
 大仏に向かって急ぎ足で通り過ぎることの多い南大門だが、ここの仏像の価値は計り知れないのだ。


 ライトアップで、南大門仁王像のすさまじい姿を観た記事、こちら



 それでは、早速、大仏殿内の大仏以外の諸仏をご紹介。


 前述のとおり、すべて江戸復興期のもの。(鎌倉復興期の仏像と比較できるようにしました)



 左脇侍・虚空蔵菩薩


 * 鎌倉復興期は、康慶、運慶の父子競作だったもの。


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 かわいい。しかし、冠が巨大。

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 大仏様と仲良く並んでいるところ。

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 台座

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 光背を後ろから。

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 向かって左奥に目を移すと、さらにすごいものが立っている。



 四天王のうち、広目天


 * 鎌倉復興期は、快慶の担当だった。
   快慶作と推定される、高野山金剛峯寺に伝わる広目天像に、その名残が色濃いと言われている。

   慶派仏師軍団による鎌倉復興期の大仏殿四天王像は、すさまじい影響を当時の仏像界に与え、
   全国のさまざまな「大仏殿様四天王像」に、その名残を見ることができる。

   今回、奈良国立博物館の特別展「みほとけのかたち」を観たが、
   そこでも、すごく小さいのだが、色彩も含めてとても見事な、
   京都・海住山寺の、典型的な「大仏殿様四天王像」を観ることができ、感慨深かった。   


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 あまりに高すぎて、上の方が見えない。

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 大仏様の裏を回り、反対側(東側)に行くと、


 四天王のうち、多聞天


 * 鎌倉復興期は、定覚の担当。

 
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 江戸期復興では、持国天、増長天は、首だけしか造ることができなかった。

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 多聞天のすぐ近くに、有名な通り抜けスポット、大仏様の鼻と同じ大きさの穴が開いた柱がある。

 やたら並んでいるな、と思ったら、つっかえて動けなくなっている方がいた。



 正面の方に戻る。


 右側の脇侍・如意輪観音坐像


 * 鎌倉復興期には、快慶・定覚の担当。当時は、観音菩薩像だった。
   頼朝から直接この像の造立の助成を命じられた御家人、宇都宮朝綱の地元、栃木・地蔵院には、
   快慶様の観音菩薩像が伝わる。
   以前、「頼朝と重源」展で観ることができたが、目が大きく若々しい、いかにも快慶らしい「ウルトラ」仏で、
   鎌倉復興期の快慶像の面影がしのばれた。


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 今も、かわいい。かわいすぎる。

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 しかし、大きくて大迫力なのだ。

 大仏様とツーショット。

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 台座

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 東大寺大仏殿の変換


 天平創建時の大伽藍。

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 頼朝が復興した鎌倉期の大仏殿。大仏殿史上最大。

 この中が、慶派渾身の巨大鎌倉仏と宋風石造仏で埋め尽くされた。

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 現在のもの。

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 外に出る。大仏殿内の仏像たちのように、広々としてさわやか。

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 この方も、忘れてはならない。かなりの大きさ。

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 門の向こうに見えるのは、先ほど見た模型にもあった、天平創建時の七重塔の相輪レプリカ。

 東西両塔とも100メートルを超える高さだったという。あんな巨大な相輪が乗ってたら、そりゃ、壊れるな。

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